大相撲の九州場所。
2023年11月25日の13日目結びの取り組みは、なんと2敗同士で並ぶ熱海富士との取り組み!!
タイミングが合わず、仕切り直しがあったりとハラハラしながら見ていました!!
そして、ぶつかり合い、熱海富士には何もさせないくらいの取り組みで、2敗同士の取り組みを制し、優勝に王手をかけた霧島関!!
そして、本日自らの取り組みの前に、熱海富士が敗れ、優勝が決定!!
2024年1月14日~28日に行わる初場所。
まだまだ優勝が狙える位置にいる霧島関とはどんな人物なのか?
まとめてみました。
プロフィール
日本相撲協会より
霧島 鐵力 – 力士プロフィール – 日本相撲協会公式サイト (sumo.or.jp)
霧島 鐵力(きりしま てつお)
所属部屋 陸奥
本名 ビャンブチュルン・ハグワスレン
しこ名履歴 霧馬山 → 霧島
生年月日 平成8年4月24日(27歳)
出身地 モンゴル・ドルノドゥ
身長 186.0cm
体重 145.0kg
得意技 左四つ・寄り・投げ
趣味 絵を描くこと
経歴
ドルノド県で羊を飼育する遊牧民の父の下に生まれ、幼い頃から父親の仕事の手伝いで1日30kmの乗馬を行うなど、自然と足腰が鍛えられたという。
井戸からの水くみも1日に数十往復したことが相撲の摺り足と同様の効果をもたらしたであろう。
2014年に知人から日本で力士になるテストに誘われ、興味本位で何となく訪日し、同じテストを受けるためにモンゴルから日本を訪れた4人とともに陸奥部屋で稽古した。
柔道経験はあったが、相撲経験はないうえに、当時の身長は180cmを超えていたが、体重は70kgに満たない細い身体であった。
陸奥親方曰く「5人の中で一番センスがあった」と回想する。
しかし、
陸奥親方は当初、日本出身ではない力士を弟子にする意向は無く、後援者らの依頼を受けて試験的にモンゴルから5人を受け入れ、言葉が通じない者を最初から指導するという覚悟を決めたのであった。
序ノ口、序二段は各1場所で通過し、三段目に昇進した同年11月場所は7戦全勝で三段目優勝を果たし、2016年1月場所で幕下に昇進。
同年5月場所後の稽古中に左膝内側側副靭帯部分断裂の重傷を負い、7月場所は自身初めての休場となって三段目へ陥落したが、1場所で幕下へ復帰し、11月場所以降は幕下に定着した。
2017年9月場所は、左手の小指付近を手術した直後だが強行出場するも、最初の取組みで敗れて2番目以降を休場する。
2018年5月場所は、西幕下35枚目の地位で7戦全勝とし、自身初めての幕下優勝を果たす。
2019年7月場所は十両目前の西幕下3枚目まで上がったが、最後の相撲で負け越して十両昇進を逃した。
西幕下筆頭となった2019年1月場所は、最初の相撲で十両力士と対戦して敗れるも、2番目から4連勝して勝ち越しを決め、十両昇進を確実な状況とした。
以降2019年は5場所十両に在位し、9月場所を除いて勝ち越しと良好な成績であった。
12月24日の2020年1月場所番付発表によって新入幕が決定。
2020年9月場所、9日目の貴景勝戦で左肩を負傷し、10日目から休場となった[27][28]が、13日目から再出場し、再出場後は3連勝した(9勝4敗2休で勝ち越しも決定)。
2021年3月場所7日目、幕内初顔から3連敗の相手であった朝乃山に送り出しで勝利した。
この場所は13日目に負け越すも、残り2日間は連勝し、7勝8敗で場所を終えた。
2021年11月場所は新三役。
2022年3月場所では、御嶽海に勝利し、新大関に初めて土をつけることとなった。この場所の優勝者である若隆景にも勝利するなど、存在感を見せ、新入幕以来の2桁勝利となる10勝5敗で場所を終えた。
2023年1月場所は千秋楽の取組を待たずして技能賞を初受賞することが決定。12日目の大関貴景勝に勝った相撲などが技能相撲に値すると評価されたもので、三賞自体は新入幕で11勝を挙げた2020年1月場所の敢闘賞に続き2回目の受賞。
5月場所は大関取りの場所となり、10勝すれば「3場所33勝」に到達する状況。
場所の早い段階で黒星をつけるなど、幸先の悪いスタートではあったが、そこから勝ちを重ね、昇進目安の3場所合計33勝に到達した。
5月31日、日本相撲協会は臨時理事会と番付編成会議を開いて霧馬山の大関昇進を決定した。
11月場所で熱海富士と優勝争いを制して、優勝を決めた。
優勝争いをした熱海富士
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初土俵 平成二十七年五月場所
新十両 平成三十一年三月場所
新入幕 令和二年一月場所
新三役 令和三年十一月場所
大関昇進 令和五年七月場所
まとめ
訪日の際には、力士としては、まだまだ体も小さかったが、努力を重ね、現在の大関という番付まで上り詰めた。
これまでもケガとの闘いであったと思うが、体を大きくするために、食べる量の目標を定めて、食事の量を増やし、確実に体を大きくしてきた。
そして、ケガにも見舞われながらも、一つ一つの鍛錬を積み重ね、痛みに耐えながらの稽古もあったと思う。
そうした苦しい時期を乗り越え、そして、相当なプレッシャーもある中で、九州場所を大関として、初優勝を決めた。
頭を使い、相手をどう崩すか、相手がどういう攻め方をしてくるか、それに臨機応変に対応した取り組み方。
私自身も社会人の実業団選手時代はケガも多く、苦しい時期がほとんどだったように思うが、その中でも自分がどうすれば、日本のトップレベルと勝負が出来るかを考えてきた。
その苦しみは、競技は違えど理解できる。
だからこそ、今後も今場所同様に花を咲かせてほしいと思う!!
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