PR

【大相撲】九州場所は2ケタ勝利の一山本!!初場所さらなる期待!!

スポンサーリンク
一山本 スポーツ
記事内に広告が含まれています。
スポンサーリンク

2023年11月26日に千秋楽を迎え、2ケタ勝利で九州場所を終えた一山本関。

来場所さらなる躍進を期待される。

そして、みなさんは大相撲をABEMATVでご覧になられただろうか?

実況が、藤井康生さん

解説が、3代目若乃花 花田虎上さん(通称:お兄ちゃん)

ベテランの藤井さんの実況は、笑いも入れながら、面白い。

そして、解説のお兄ちゃんもすごく分かりやすく、知識がなくても、今の取り組みの何がすごくて、何が原因で負けたのか、分かりやすく説明してくれる。

そのお二方の実況・解説の中で、千秋楽を白星で11勝4敗で終えた一山本関を、

『十一山本で終えました。』と伝え、思わず笑ってしまった。

そんな十一山本・・・いや、一山本関はどんな人物かまとめました。

スポンサーリンク

プロフィール

一山本

名前  一山本 大生(いちやまもと だいき)

所属部屋  放駒

本名  山本 大生

しこ名履歴  一山本

生年月日  平成5年10月1日(30歳)

出身地  北海道岩内郡岩内町

身長  188.0cm

体重  150.0kg

得意技  突き・押し

初土俵  平成二十九年一月場所
新十両  令和元年七月場所
新入幕  令和三年七月場所

最高位  前頭八枚目

異色の経歴の持ち主!!

3人きょうだいの末っ子として生まれ、母親の勧めで岩内町立岩内東小学校2年次から相撲を始め、他の競技にも取り組もうとしたが長続きせず、母からも「シューズを買うのでお金がかかる。相撲はまわし一本あればできる」と説得されたことから、岩内町立岩内第一中学校進学後も相撲を続けた。

しかし、全国中学校相撲選手権大会の北海道予選で矢後太規(のちの幕内・矢後、尾車部屋→押尾川部屋)に敗れて全国大会進出を逃したため、相撲を続けることを決意した。

高校は兄の後を追って大野農業高校へ進学し、高校総体で32強という成績を残した。

夏に中央大学が北海道合宿を行っており、当時中大相撲部に在籍していた同郷の先輩を介して勧誘を受けたことから、高校卒業後は中央大学商学部商業・貿易学科に進学。

4年次に全国学生相撲選手権大会で個人16強となった。

だが、当時は、学生時代に目立った実績が無いという理由から自信が持てなかったため、大相撲入りは検討しなかった。

大学卒業後は北海道福島町役場に就職し、教育委員会に配属された。公務員になったことは小学校の卒業文集に書いた夢が叶った形でもある。

一度は公務員になられたということですね!!

また、町役場に勤務する傍らで、町内の小学校などで相撲の普及に取り組み、横綱千代の山・千代の富士記念館でコーチとして相撲の指導をしていた。

2016年の国体では個人16強入りしたが、この成績が不本意なものであったことや、中央大学相撲部OB会長(当時)の元幕下・神光から大相撲へ誘われたことなどから、大相撲への熱意が再燃した。

当時既に23歳と新弟子検査の年齢制限に抵触していたが、相撲など各競技で実績があると理事会が承認すれば25歳未満まで受検対象に含めることを決定していたため、23歳2ヶ月で新弟子検査を受検することが認められた。

二所ノ関部屋(師匠・12代二所ノ関)に入門して2017年1月場所で初土俵を踏んだ。初土俵時から名乗る四股名「一山本」は、9画が縁起が良いと大相撲に勧誘した神光が考えて命名したことによる。

初めて番付に名前が載った翌3月場所は、7戦全勝で序ノ口優勝とした。

もともと実力があったとしても、すぐに優勝できたのはすごい!!

序二段と三段目は6勝1敗としてともに1場所で通過し、同年9月場所で幕下に昇進した。

新幕下の場所を6勝1敗で勝ち越して以降も勝ち越しを続け、2018年7月場所では十両目前の東幕下3枚目まで番付を上げたが、3勝4敗で初めての負け越しとなった。

その後は一度幕下中位まで番付を下げた後に再度番付を上げ、2019年5月場所で再び東幕下3枚目まで番付を上げると、今度は5勝2敗と勝ち越して十両昇進の有力候補になった。

場所後の番付編成会議により、翌7月場所での新十両昇進が決定し、年齢制限緩和制度の適用者として初の関取になった。

新十両となった2019年7月場所と、翌9月場所は9勝6敗で2場所連続で勝ち越した。

しかし、十両3場所目となった同年11月場所は、初日の取組で左膝を痛めて2日目から自身初めての休場になった。

一度は、2020年に番付を西幕下45枚目に下げたが、西幕下3枚目で4勝3敗とした2021年1月場所後の番付編成会議で、翌3月場所での7場所ぶりの十両復帰が決定した。十両に復帰した3月場所は10勝5敗、次の場所も10勝5敗と2場所連続で2桁の白星を挙げた。

入幕後、思うように白星を重ねられない時もあったが、2023年1月場所で、入幕後、初の2ケタ勝利で終える。

2023年は、7月場所・9月場所は十両としてだったが、9月場所に十両優勝し、11月場所は再び入幕を果たす。

その11月場所では、自己最速の9日目に勝ち越しを決め、優勝争いに絡む強さを見せた。

最終的には、九州場所は11勝4敗という成績で終えた。

紆余曲折しながらも、着実に番付をあげてきている。
コツコツと日々の鍛錬を積み上げているからであろう。

九州場所で優勝した霧島関
【大相撲】優勝を決めた!!戦略家霧島とはどんな人物か?まとめてみました
優勝争いを演じた熱海富士関
【大相撲】かわいい!?優勝争いをしていた熱海富士とはどんな人物なのか?

まとめ

大学卒業の際には、一度は諦めた角界入り。

公務員として、地域の相撲普及に関わったり、国体への出場など、相撲と縁が切れていなかったことが、一山本関を角界入りを決断させる。

周りを見たときに、自分の限界を決め、諦めることはよくあること。

そして、スポーツの世界で生き抜ける人は、一握りであることを大学時代に痛感もしているだろう。

そんな中で、「本当にそれでいいのか?」と自分を奮い立たせ、兄の後押しもあり、角界に入るという決断をすることは、どれだけ勇気のいることだろうか。

私自身も、社会人となり、スポーツで実業団選手として活動した経験がある。

誰しも引退の時期がくるのだが、私も引退と同時に、実業団として勤めていた大企業を辞めた。

競技生活より、競技を引退してからの人生の方が長い。

大企業に勤めていれば、生活自体は安泰だろう。

しかし、

私にも、セカンドキャリアとしての夢があったために、大企業を辞め、挑戦した。

当時を振り返ると、「挑戦せずに人生を終えたとき、後悔しかない。」と考え、周囲の9割が反対していたが、辞めることを決めた。

そして、今は挑戦して良かったと感じている。

だからこそ、一山本関にも、そんな覚悟を持って挑戦した角界で、自身を鼓舞し、ますます活躍してくれることを願っている。

そして、覚悟を持って挑戦した仲間として、応援したい!!

参照・引用
一山本大生 – Wikipedia
一山本 大生 – 力士プロフィール – 日本相撲協会公式サイト (sumo.or.jp)

コメント

タイトルとURLをコピーしました